西川隆光です。

前回はプライドが高い、

「悪しきプライド」について

主に話をしました。

では、逆に

「プライドの低い人」というと、

皆さんはどんな人物を

思い浮かべるでしょうか?

 

「低い」という言葉から

ネガティブな印象を持つ方が

多いかもしれません。

 

自分の意見がない人、

信念を持っていない人、

または日和見主義で

他人に媚びへつらうような態度の人を

思い浮かべる方もいるかもしれませんね。

 

しかし、これは

決して悪いことばかりではありません。

 

プライドが低いということは、

それだけ執着心がないということで、

何事に対しても

臨機応変に対応できる、

そんな側面もあるからです。

 

もちろん、自分の信念を

まったく持っておらず

誰にでも調子を合わせる人というのは

困りものですが、

プライドというのは

高ければ良いというものではない、

ということは

すでにお分かりだと思います。

 

往々にして人は、

自己顕示欲のために

プライドを高くしがちです。

自分の正しさを証明したり、

自分の有能さを周囲に知らしめたり、

または相手を裁くために

プライドを発動させます。

 

たとえば、仕事などで、

教えを請えば済むことでも

相手が同期だったりすると

尋ねることができなかったり、

有能な部下の仕事を認めたくなくて、

粗探しばかりするなど、

プライドが邪魔をして

素直になれない場合というのは

よくあるのではないでしょうか。

 

夢の実現という面においても

プライドが邪魔をするケースはあります。

その目指す夢において

自分が有能な人間であることは

ある意味当然であり

有能なだけではダメ、

それだけではまだ足りないのですが、

凡人はそこに引っかかりがちです。

能ある鷹は爪を隠すで、

有能であることが

「普通」でなければいけません。

しかし、自分は有能だからと少しの成功で、

つまらないプライドの角が

出てきてしまう人は結構いるはずです。

良いプライド、

つまり本物のプライドというのは、

高い次元で物事を考えた結果、

安易な妥協はせずに、

自分の信念を貫き通した結果のもので、

周囲にも良い影響を与えます。

決して我欲からではなく、

世のため人のために行動していくときに

発動されるものが

良いプライドだと言えるでしょう。

 

信念とまで呼べないような、

取るに足らないことに

こだわったとしても、

自分が損するだけで、

何も生み出しません。

 

我欲に基づいたプライド、

悪しきプライドを手放し、

本物のプライドだけを意識して

活用するようにしましょう。

 

この世的な視点でもって出来上がった

悪しきプライドの角を矯めて、

あの世的な視点から

世界を俯瞰してみるのです。

その結果、

小さな自分を発見して、

本当の感謝が生まれてくることでしょう。

 

では、また。

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