西川隆光です。

今日は「プライド」について

考えてみましょう。

「プライド」という言葉は、

日本語にすれば「自尊心」。

「誇り」といってもいいでしょう。

皆さんはどのようなイメージを

持っていますか?

 

たとえば、職場では

「プライドを持って仕事をする」と

言うこともあるでしょうし、

スポーツで

輝かしい実績のある学校の選手が

「伝統校のプライドを胸に頑張る」

と表現することもあります。

 

これらは良い意味のプライドです。

ここは「自負」と訳した方が

しっくりくるのかもしれません。

 

では「プライドが高い」と

言ったらどうでしょうか?

あまりいい意味ではない場合が

ほとんどだと思います。

 

西川はたびたび

何事においても

「素直な心」「謙虚な態度」が

大事だと言いますが、

その際にも邪魔になるのは

「高いプライド」だと言っています。

 

西川自身もこれについては

常日頃気をつけています。

心の修行者として

非常に重要な部分だからです。

 

なぜかというと、

とてもプライドの高い心で生きて、

あの世の存在を認めずに

亡くなったような方は、

成仏浄化がスムーズに移行しない

ということが起こりやすいのです。

これは男性でも女性でも同じです。

 

ビジネスの世界でも

段々実力が付き

周りから認められてくると、

その実力と共にむくむくと

プライドの角が生えてきます。

ここが落とし穴なのです。

 

西川自身もまだ若いころ、

フレンチの料理人を目指して

修行をしていたときに

こんな経験をしています。

 

ある程度までは謙虚に

仕事をしていたつもりでしたが、

いつの間にか他人を裁く

人間になっていました。

そして気づいた時には

誰も私について来なくなりました。

一種の挫折感を味わいました。

その時に思い当たることが

このプライドでした。

 

プライドが高いが故に

他人にへりくだれなかったり、

プライドが邪魔をして

謝罪や感謝が出来なかったり、

プライドという角がある方は

素直さや謙虚さが現れてこないのです。

そこに人徳は生まれてきません。

 

これは家庭の中でも同じです。

夫婦不和で相談に来られる方々は

へりくだる謙虚さ、素直さ、

感謝の気持ちに欠けている方が

ほとんどです。

そして相手や環境のせいにする。

 

「自分は何十年とこうして

生きてきたのだから

今更変えることは出来ない」

 

こんな言葉を何度も聞きました。

これは生きている人に限らず、

死んで浄化されていない霊も

まったく同じことを言うのです。

 

何かに打ち込み、こだわって

プライドをもって生きることは

それが世のため人のためであれば

素晴らしいことでしょう。

ところが、実際には私の言うところの

「悪しきプライド」に苛まれている方が

大変多いのが現状なのです。

 

霊的な視点から見れば、

たった何十年かのこだわりなど

とても些細なことです、

ぜひ、それに

気付いていただきたいと思います。

 

では、また。

 

今日もお読みいただき、ありがとうございます!
西川隆光の個人セッションはこちらからどうぞ

詳細はこちら