霊能者歴25年のスピリチュアルカウンセラー西川隆光です。

 

今日は「カルマ」について

お話をしましょう。

 

皆さんは「カルマ」という言葉の

本来の意味をご存じですか?

もともとはサンスクリット語で、

「行為」を意味します。

 

この機会に改めて辞書・事典で

いくつか調べてみました。

「仏語。人間の身・口・意によって

行われる善悪の行為」というものや、

「サンスクリット語では『行為』、

または行為の結果として

蓄積される『宿命』と訳される」

「日本語での解釈では

『業(ごう)』という意味合いで使われる」

こういったものがありました。

 

一般的には、

「前世の業」のような意味合いで

理解されている方が

多いのではないでしょうか。

 

実際には

何かを行ったことにより

周りがどう反応したか、

その結果、

自分がどう感じたかということが

カルマになります。

 

そして、前世でやり残したことは

今世にカルマとなって

生まれてきた環境に現れます。

 

これらはだいたい生まれてから

18歳くらいまでの間に

現れてきますが、

こういったことは、いわば

前世からの宿題のようなものです。

 

また、ある事典の説明には

「カルマは『過去(世)での行為は、

良い行為にせよ、悪い行為にせよ、

いずれ必ず自分に返ってくる』という

因果応報の法則のこと」

と、書いていたものもありました。

 

カルマというものを

因果応報の原理として捉えるのなら、

カルマは報(ほう)、報い(むくい)

と、いう意味で捉えることができます。

 

自分が種を撒いた結果、

どのような実がなるのか、

その実を刈り取るのも

また自分ということです。

 

良い実ができれば、

いい収穫となりますし、

逆に悪い実ができれば、

刈り取るのも

辛いことになるでしょう。

 

つまり、カルマという言葉に

良し悪しはありません。

このような因果の法則で

捉えるべきです。

 

前世で撒いた種が

今世で実り、

それを刈り取っている自分。

そんな姿が、誰にもあります。

 

過去で一生懸命に

陰徳を積めば、それが実り、

幸運に満ちた人生を

送っている人もいます。

逆に、「なんでこんなにも

頑張っているのに…」

と、嘆くような

不遇な人もいることでしょう。

 

ここで問題になるのが、

果たしてその報いを

どんな気持ちで受け止めるか、です。

 

そもそも、

陰徳を積むような魂の人は、

自然と素直さや謙虚さが

身に付いているものですし、

「なぜ自分はこうなのか」と

考える魂の人は、

執着を持ちやすい傾向にあるといえます。

そして、そんな状態のままで、

また新たな種を

撒いてしまっています。

 

あなたは、心に

どんな種を撒いていますか?

 

日々、24時間どんなことを考え、

どんな言葉を発し、

どんな行動をしているかが、

因果応報の「因」の部分になります。

 

ですから、皆さんの

この先の人生を明るくするためにも

心に良い種を撒き続ける努力を

していきましょう。

 

今日もお読みいただき、ありがとうございます!

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