最近、

この困難な、時代の変革期にあってか、

自分の信念が折れてしまった、

というお悩みを持つ方が

増えてきているようです。

 

信念はその人にとって

大変重要なものではあります。

 

しかしそれでも、

信念というものは、

折られるためにあるものだと

西川は考えています。

 

なにしろ西川も

50年以上生きているので、

突き通そうという信念を

これでもか、これでもかと

折られてきました(笑)

 

一人の持つ信念なんて

本当に小さいものなので、

ポキンと折れます。

でも、骨じゃないですが、

折れる度に強くなっていく。

 

それが

イエスキリスト様ぐらいになると

「信念、岩をも砕く」で

信念の力、信仰の力によって

岩をも砕くようになります。

 

やはり信念の最上位にあるものが

信仰だと思うんです。

神を信じる気持ち

それ以上の信念はない。

 

でも、その信仰すらも

折られることがありますよね。

 

たとえば、小さい頃だと

サンタクロースを信じていたのに、

「そんなもの、いるわけないだろ」

その一言で折られることがあるように。

 

自分は目に見えないものを信じる、

神様を信じている。

いくらそう言っても

信念が折られていくことはあります。

 

でも、そうやって折られながらも、

そこから生えてくる信念が

さらに図太いものであればいいな

と、思うんです。

 

生きざまとして一番カッコいいのは、

折られても、折られても、

同じところから生えてくる信念を持ち

貫き通すこと。

 

折られたからといって

こんなこと信じてても仕方ないや、と

違う信念に切り替えてしまう人がいますが、

それはもったいないなって思うんですよ。

 

たとえば10年とか

自分の人生をその信念で生きて来たのに

一度や二度の挫折くらいで

捨ててしまうのですか?

だとしたら、

それは本当にもったいない。

 

信念なんか折られるためにある、

そう思えばいいんじゃないでしょうか。

 

あなたが信じた信念を

さらに成長させていく

そんな考え方を

していきましょう。

 

この世は魂の修行の場です。

スピリチュアル的に言うなら

自分の信じたことをポキポキ折られて、

それを鍛えるために

生まれてくるのです。

 

信念を鍛えることこそが

生まれる意味でもあるので、

どんな信念が育ち、

どれだけ強い信念を持って生きたかというのは、

あの世に還ってから

計られる部分なので、

そこは大切にしてほしいと思います。

 

しかし、

自分が本来予定していた人生とは

違った信念を生きてしまったと思ったならば

その時は反省して

生まれ変わってくればいいことです。

 

自分の今持っている信念を、

精一杯伸ばして欲しいなと思いますね。

 

では、また。